年間行事
 おせがき法要(施餓鬼)
 

 品川寺では毎年6月に”おせがき法要”(施餓鬼)を厳修いたします。
施餓鬼(セガキ)とはどういう行事か説明します

 私たちが亡くなりますと、仏教では因果応報(インガオウホウ)と言われるように、生前行った功徳の結果において、次の世の六道世界に振り分けられると言います。

 六道世界とは、

  1. 地獄(ジゴク) 
  2. 餓鬼(ガキ) 
  3. 畜生(チクショウ) 
  4. 修羅(シュラ) 
  5. 人間(ニンゲン) 
  6. 天  (テン)    の6つの世界のことです。

 その中で餓鬼の世界とは、生前、欲張りで嫉妬深い人が陥る世界で、餓鬼の世界には様々な欲求不満の人間がおり、決して満たされることの無いおのれの欲望の炎によって、自身の身を焼く地獄の世界のことです。

 お盆のはじまり

 お盆は、盂蘭盆(ウラボン)、正式にはウラバーナと言い、逆さずりにされた、最も苦しい状態のことを言います。

 お釈迦様の弟子に目連尊者(モクレン ソンジャ)という人がいました。
 目連尊者はお釈迦さまの弟子の中で神通第一といわれるほど、大変神通力のすぐれた方でした。
 ある日、目連尊者は亡くなった母親がどうしているかと、神通力を使ってみると、どうしたことでしょう、母親は餓鬼道の世界に落ち、体は痩せこけ、お腹だけ膨らませて、口に入れようとする食べ物すべてが燃え上がり、もがき苦しんでいるではありませんか。

 目連尊者の母親は、生前、他人の不幸を省みず、人をだまし、おのれの欲求のみに生きました。
 その結果が餓鬼道だったのです。
 驚いた目連尊者は、お釈迦様に相談しました。
 お釈迦様は「雨季ももうすぐ明けるので、(旧暦の七月十五日。現在では、七月十五日と八月十五日の二通りある。この時期、インドでは雨季の明ける時期で、雨季の間、修行に篭っていた お坊さんが修行からでてくる[安居(アンゴ)]。)修行から出て来たお坊さんたちを供養することによって、母親は餓鬼道の苦しみから救われるだろう。」と言われました。

 早速、目連尊者は何百人というお坊さんを供養しました。
 そして、神通力で母親の様子を見てみると、母親は餓鬼道より救われ、ニコニコと微笑んでおられました。

 これがお盆のはじまりです。

 私達の先祖もまた、もしかすると餓鬼道に落ちて苦しんでいるかもしれません。私達は凡人ですから、つい欲深い行いを知らず知らずの間のうちに行って、その結果によって餓鬼道の世界に落ちて苦しむかもしれません。

 そうした多くの人々を救うためには、今生きている私達が、餓鬼道の世界で苦しんでいる人々の為に、代わって善行を積んで、仏様の慈愛でもって、餓鬼道の世界で苦しむ人々を極楽世界へと導いてもらうということを、施餓鬼と言います。

 施餓鬼は字の如く、餓鬼に施すということですから、まず水や食べ物を供え、読経回向することは当然ですが、施餓鬼の最も大切なことは、普段から我々人間も含めたこの世に生きる全てのものに食べ物を分け与えるという心掛け、地にはう蟻等から微生物にまで気を配る優しさが必要ではないでしょうか。

 そうした普段からの、食べ物を大切にし、また他に施し、共に分け与えていくという日常の心掛けが、施餓鬼供養の本当の意味だと思われます。

 平成24年6月17日施餓鬼法要の様子
  
 
施餓鬼法要祭壇 
   
法要の始まり 
 
ご檀家・信徒様
法要終了後は醍醐寺座主(当山別当)仲田順和猊下よりのご法話がございました
お盆魂まつり  7月16日 午後6時30分から午後9時まで ●江戸六地蔵尊御宝前お盆提灯奉納申込書
お盆精霊送り回向ご案内
(イメージが表示されます)
江戸六地蔵尊御宝前提灯奉納のお勧め及び申込書
(pdfファイルが表示されますダウンロードしてご使用下さい)
 お盆魂まつり

毎年お盆に江戸六地蔵尊第一番御宝前にてお塔婆をお供えして「送り回向」を致します。
ご先祖の精霊をお送りします。
平成25年度開催風景  
     
     
 ご記帳(御供養お申し込み)  ご記帳(御供養お申し込み)  ご記帳(御供養お申し込み)
     
法 要 風 景 法 要 風 景   法 要 風 景
     
法 要 風 景    お参りの皆様 
  
 節分護摩法要 

毎年立春の前日(2月上旬)行われます

●節分護摩法要・護摩札お申し込み書はこちらをクリックしてください

 節分とは、「季節を分ける」ことを意味し、本来は立春、立夏、立秋、立冬の前日のことをいいます。
  しかし旧暦では立春が年の始まりにあたることから、いつのころからか節分といえば、立春の前日をさすようになりました。立春を新年と考えれば、節分は大晦日。特別な意味を持つようになったと思われます。
  節分は大晦日にあたることから、節分の日に邪気を祓い、新年を幸多き年として迎えられるようにという意味を込めて「追儺(ついな)」の行事が行われます。
 追儺とは悪鬼・疫癘(えきれい)を追い払う儀式のことで、新年を迎える行事として中国で行われていたものが、文武天皇の頃に日本に伝わり、宮中行事として行われるようになったそうです。


 品川寺では午後7時より本堂にて式次第に則り行われます。
●豆まき
 豆を撒く風習は、鬼の目を打ち、「魔を滅する」に通じるからという説があります。炒った豆を、年男や一家の主人、厄年の人が「鬼は外、福は内」と大声で叫びながら豆を撒き、邪気や災厄を祓います。
 炒った豆を使うのは、生豆を使って拾い忘れたものから芽が出ると再び悪鬼が芽を出してやってくるので良くないといわれているからです。
 豆撒き後は、自分の年の数、または自分の年の数+1の豆を食べ、一年の無病息災を願います。
●鰯の頭と柊木
 鰯を焼いた時の煙と臭いが厄を祓うといわれ、節分の日には家の入口に鰯の頭を柊の枝にさしておく風習があります。
 鬼の嫌がる鰯の臭いと、柊の葉の棘に痛がって、鬼が近寄らないので鬼門封じや厄除けになると昔から言い伝えられています。地域によっては、にんにくやとべらなどの臭いのあるものをそえるところもあるようです。
●巻き寿司のまるかじり
 関西を中心に、その年の恵方(年神様のいらっしゃる吉の方角)に向かって無言で太巻き寿司を丸かぶりし、新しい年が良い年でありますようにと願いながら食べるという風習があります。
 巻き寿司を使うのは「福を巻き込む」からで、切らないのは「縁を切らないために」といわれています。  
 
 平成26年2月3日法要風景
   
               式  次  第   祭    壇
 
     
 お導師様ご入道  護 摩 法 要  
     
 
 
  厄除けご祈願の皆様 
豆撒きの開始です 一気に会場は興奮の坩堝

皆さん我先にと豆やお菓子を拾います
 

 

 花祭り(潅仏会(かんぶつえ)仏生会(ぶっしょうえ)4月8日 
 


品川寺祭壇
  釈迦の生誕を祝福する仏教行事。潅仏会(かんぶつえ)仏生会(ぶっしょうえ)といい、「花祭り」は明治以降の名称。浴像会、降誕会などともいわれます。古代から釈迦の生まれたインドで行われてきた行事からのもので、日本ではお盆とともに仏教伝来からの歴史があります。推古天皇代(606)、聖徳太子の提唱で元興寺で行われたのが最初とか。

この日、各寺には花で飾った小堂、花御堂(はなみどう)がつくられます。金属製の幼仏像をその中にまつり、甘茶が参拝者によってその誕生仏にかけられます。甘茶を潅(そそ)ぐ行事なので「潅仏会」。 花御堂は釈迦が生まれたところルンピニ園の花園を表しています。


 甘茶とは砂糖入りのお茶というわけではなく、ユキノシタ科のアマチャやウリ科のアマチャヅルを煎じた飲料です。漢方薬店で売っているらしい。お寺で参拝のあとにいただけるところもあります。麦茶に似た色をしていてちょっと甘くちょっとにがく、とろりとした飲みごこちがします。

 釈迦の誕生は仏典を元に4月8日夜半とされますが2月8日説もあるらしい。もともと旧暦の日付なので今は月遅れの5月8日に催す地方もある。農耕の始まりを祝す意味合いがあったり、甘茶を母乳と見たてて母性をたたえる日であったり、江戸時代には役所は休日、寺子屋は休校と「国民の祝日」的な地位を持っていました。

 釈迦の父は釈迦族の王、母は磨訶摩耶(マカ・マーヤ)と言います。摩耶夫人は35歳の時、ある夜六つの牙を持つ白像が天より降りて右脇より体内に入る夢を見ました。バラモンの夢占師に聞くと、インドでは象は聖獣とされているため、まさに吉夢で、世継ぎ誕生の兆しと告げられました。マーヤはまもなく懐妊し、出産のため里帰りの途中に立ち寄ったルンビニ園の庭で休息中、無憂樹の花を手で折ろうとしたところ、右脇の下から釈尊がお生まれになったとされている。釈尊は生まれた直後に周囲を見わたし七歩あるいて右手を天に指し左手を大地に向けて「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげゆいがどくそん)と言ったとか。その時天竜が天から下って甘い露を潅(そそ)いだ、という説話が元になっている。宇宙間に自分より尊いものはないという意味で、人間一人ひとりが宇宙にただ一つしかない命をいただいている尊い存在だという意味です。(http://web.kyoto-inet.or.jp/org/bukkyo-c/index1.htmlより)
この姿をかたどったものが誕生仏像で甘茶をかけるために金属(銅)で造られたもので小像が多い。

誕生日が潅仏会なら、命日は涅槃会(ねはんえ)
釈迦の死没年についてはいまだ学問上の問題とされますが、紀元前483年説が有力。南方仏教圏では仏滅紀年法で紀元前543年となっています。80歳で死去(入滅)したことは定説とされています。涅槃会は2月15日。
 
          
 
 
 
 鐘 供 養 及び 俳句の会

   品川寺では毎年5月5日”鐘供養”と”俳句の会”を行っています。

 数奇な運命を辿った品川寺の梵鐘(詳しくはこちらをご覧ください)が1930年5月5日に帰還したことを記念し、毎年行われています。

 同時に梵鐘帰還の際、当時の品川寺住職の仲田順海和上の知友であった俳人の高浜虚子もこの日供養に招かれており、この時

 「座について供養の鐘を見上げけり」と句を詠んだ。(詳しくはこちらを参照)

 これを記念して毎年5月5日鐘供養終了後に「俳句の会」を開催しています。この会には高浜虚子のお孫様の星野 椿様がご参加されます。


 平成25年5月5日開催風景
 
鐘 供 養 風 景T 高浜虚子のお孫様、星野椿様ご参列 星野椿様主催の句集「玉 藻」

鐘 供 養 風 景U 句 碑(座について供養の鐘を見上げけり) 高浜虚子